イメージ

十二単の着装について

1:「しとうず」もしくは、「足袋」をはきます。
本来、足には、しとうずという足袋をはくのが正式ですが、我社では、足袋を代用として使っておりますことご了承くださいませ。
「しとうず」は、古事記にも出て来るほどの古い歴史あるものです。
指先の無い「足袋」のようなもので、こはぜの代わりに、2本の紐で、足首をくくります。

2:まず、「白襦袢」、「白小袖」「濃小袖」をお召し頂きます。
平安時代は、襦袢、小袖はお召しになりませんでした。
未婚女性は、濃小袖が正式ですが、我社ではお客様のご希望に合わせております。

3:次に袴をお召いただきます。
平安時代の貴族は、必ず、袴をはいていました。
女性の袴には、長袴、短袴があります。
(切袴が正式ですが、婚礼にふさわしくないので、あえて短袴と呼ばせていただきます。)
我社では、平安時代から今日まで宮廷の未婚女性がお召になる濃袴と、既婚女性の赤袴の両方をご用意しています。

4:次に「単」をお召いただきます。
平安時代の下着替わりでしたので、どの装束にもつけるのが原則です。
十二単では、袖、丈を大きくして、他の衣裳が汚れないように考慮されています。
文様が、「幸菱」と申しまして、水草の菱をイメージしたものです。
菱の花の先と先が少し間をおいて、向かい合っていますので、「先間い菱(さきあいびし)」と呼ばれていたのですが、いつの間にか、「幸菱(さいあいびし)」と呼ばれるようになりました。菱の強い生命力、繁栄を願い、紋に託してお召になられていました。

5:「五衣(いつつぎぬ)」もしくは、「三衣(みつぎぬ)」をお召いただきます。
五衣・三衣
衣(きぬ)とは、袿ともよびます。
袿とは、「ちょっと着るもの・はおるもの」のことです。
平安時代は、沢山の袿を何枚も重ねて、それぞれが重ね色目を競い合われましたが、平安後期に五衣に決まりました。
平安人は、四季の移り変わる自然の美しさを重なり合う色目で表現されました。
梅、菊、桜など色目を表すのに、花の名前が多く用いられ、それぞれの植物にちなんだ色を組み合わせて表現しています。

6:打衣 をお召いただきます。
5衣の上に着ますが、砧で打って、光沢を出した袿です。
その技法が大変なので、平安末期から、板引きという技法に変わりました。
現在は、ぜいたくすぎるので、世情に合わせ、板引きは廃止となっております。
打衣は、平安時代は、儀式のとき以外では、省略されていたこともあります。
我社も、重さ軽減のため、お客様のご希望により、省略しております。

7:表着(うわぎ)をお召いただきます。
これまで重ねてきたものの「上に着る」との意味から呼ばれました。
紫式部や、清少納言たちも、「うはぎ(うわぎ)」と呼んでいたそうです。
宮廷女性たちは、表着に豪華な織物を用いて、文様、色目におしゃれを競いました。
紋様部分に横糸を用いて織って地紋に立体感を持たせた「浮織物」、浮織物に別の糸の横糸で上文を織り出した「二倍織物」です。
「二倍織物は、平安時代から、皇后の織物として、ありました。

8:一番上に唐衣をお召いただきます。
一番上に唐衣をお召いただきます。
唐衣は、奈良時代の中国大陸からもたらされた「背子(はいし・からぎぬ)」の変化したものですので、唐衣と呼ばれたようです。
唐衣は、儀式の時や、身分ある方の前に出るときは、必ず着用しなくてはいけませんでした。
江戸時代末まで、「禁色(きんじき)」と言って、天皇の許可が無いと「赤色(深い紅色)・青色(黄緑色)」は、お召しになれませんでした。これらの色は、元来、天皇の御服の色だったから禁色となったようです。

9:最後に、唐衣の背に裳を当てます。
裳は、奈良時代からあります。もとは、腰に2重に廻していましたが、のちに、1重となり、さらに、平安時代になり、変化して、後ろの部分だけになりました。平安時代女性の成人式は、裳を付ける儀式でした。「裳着(もぎ)」・「着裳(ちゃくも)」とよばれ、当時は、盛大にお祝いをされたようです。